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自分に足りないものは [問題提起]

今新幹線に乗ってあと1時間後に仙台に到着する。キーボードを使うとうるさいとマナー表示があるのでipadのタイピングで書いている。初めて新幹線に乗ったときは全く揺れない快適な乗り物と感動したが、今乗ると意外に揺れるなぁとタイピングのしづらさを感じてしまう。一部の国にしかない新幹線だが、数十年も経てば新幹線は無くなり更に進化した乗り物が誕生しているのだろうか。

今日は合計4時間近く交通機関に乗るわけだが、新幹線に乗るまでの電車では基本ipadでNews Picksを読んでいた。やはりずっとデジタル画面を観ていると頭がぐらぐらしてきて気分が悪くなる。それでも今のうちに読んでおくものは読んでしまうと頑張った。読んだ記事の中であるA氏の過去が面白かった。昔は紙は売るとけっこうなお金になった。そこでA氏は雑誌ダンボールなどを集める所謂「ちり紙集め」をして稼いでいた。そのあとある会社(今でも有名企業)に就職するが、当時の給料よりちり紙集めの方が儲かってたらしい。

それを聞いてちり紙集めをよく思いついたなと思った。私はこういう簡単だがけっこうな稼ぎにもなる方法がポンとは思いつかない。それで自分には何が足りないのか考察してみた。

まずお金が無くて生活が厳しいあるいはお金が全く貯まりそうにない状況に私はいないからかもしれない。私はお金持ちではない。一般的生活をしているが、今月の生活費が足りないといった心配はしたこともない上バイクなど余計なものをなんとか自分で購入している。稼ぐ手段も周りよりもいいだろう。時給で言えば1300〜1500円レベルでバイトをしている。最近のことを思い返すとそれに甘えている自分がいることに気づいた。11月ごろに来年の3月頃までにどのくらい「バイトに入るか」を計画した。どのくらい「稼ぐか」ではない。毎回「お金がない」→「バイト入る」という考えしか思いつかなくなっていた。その時点で行動力は低下している。なぜなら新しいことそ行動しなくても十分なほどお金は手に入るからだ。悪くはないのだが、バイトや既存の仕事にだけ絞るのではない将来を目指すならば私は変わる必要がある。

もう一つは物事に対する連想や考察力が低い。まさにちり紙集めは捨てられている広告関係を見て、それは紙であって価値は高いと認識している。今の自分では広告が捨てられているなぁとしか思わないだろう。例えば、和菓子をもらってその生産はどこでしているのかといったことを考えてみるのも面白い。これは意識して物体を理解していく癖をつけることが大切である。今日から実践できることでもある。

瞬間的に思いついたことだけでもそういった人とは違う点が多くある。もちろん何が正しいのかは決まっていないが、少なくとも考察するレベルでは自分が完全に劣っている。これを発見できて気分悪くなりながらもNews Picks読んでいてよかったと感じた日でした。

教員はリスクを考えるな [問題提起]

最近ある方々と飲みに行く機会があった。話がなぜか「仕事」の話になった。とりわけ取り上げられたのが教員である。基本的に国公立の学校を前提に話を進めたので教員=公務員と考えてもらいたい。公務員のメリットとしては一般企業のようなリストラはないので社会情勢に関係なくある程度は安定している。給料も大幅にカットされることも少ない。国家財政や地方財政の状況に応じて減額されることもあるが、一般企業のようにデフレや企業利益減益といった理由ではあまり影響されないだろう。デメリットとしては逆に企業収益が大幅に上がったとしても基本的には給料は上がらない。能力に応じて大胆な評価も昇進もない。端的に言うとお金持ちには決してなれない。

私はかつて教員を目指していた。教育こそ自分の使命だと感じていた。正直それは変わらない。だが、公務員になることには納得がいかなかった。そしてどんなに成果を出してもさほど評価されないことにも納得できない。そういった理由で私は公務員である教員を目指すことをやめた。私が教育に携わってしたかったことは国語や算数のような科目に生徒が興味をもってもらえるような授業をすることではない。子供たちの可能性を引き出すきっかけを作ってあげたいだけだ。そういった点でも教員とは無駄な仕事が多すぎる。私はそのためには部活動の顧問は生徒とのきっかけを作り何かしらの可能性を生むこともあると思うが、最近の教員は部活動の顧問は教員の仕事ではないと言い始めた。もう目指すものが教員ではないと感じ始めた。

話を戻すが、ある知り合いAは教員を目指している。そこで保護者対応の話題になった。私は保護者に思ったことを遠慮せずに言うべきと主張した。本当に保護者の考えが間違っているのであれば本音を隠す理由が全くない上、言ったからといって教員と生徒との教育関係には影響はでないからだ。しかしAはそれには反対気味だった。おそらく保護者に嫌われたり他の教員から何か言われたり、最悪責任問題になり自分が辞職するリスクが怖いのだ。また一度教員を辞職や解雇になったら次にどう職を探すのかが不安だそうだ。履歴にそれが残るのも気にしていた。

それを聞いて公務員脳100%だなと思った。Aのような人は「教員」になりたいのではなく、「公務員」になりたいのだ。まず教員とは教育に携わる人、生徒の成長のために努力をする立場だと自負している。なので保護者の考えが生徒のためになっていないのであれば教員は保護者と戦わなければいならない。それで職を失うリスクを考える時点で自分のためになっている。教員失格だ。自分の立場も守りたいが、教育に携わりたいという人は教員以外で教育に携わる仕事を探せばいい。それが社会にとっても生徒にとっても最善の選択だ。

もし私が教員になって保護者と対立してその責任をとれと言われたら何も考えることなく辞職する。職を失うことになるが、別に他の職を探そうと思えば見つけれる自信がある。履歴書にその記録が残るからなんだ。もし面接で聞かれたら正直にその理由を言えばいい。間違ってないと自分で思っているのなら。そもそもそんなこともできない人に教育の責任を負えるとは思えない。そんな教員は生徒に何を伝えるのだろうか。仕事を失うリスクを伝えてそれこそ、本音と建て前を使い分けろとか言うのだろうか。他に再就職できないような人が生徒の進路相談で何を話すのだろうか。私は教員を目指す90%ほどは教員を目指すべきではないと思っている。本当に公務員がいいだけであれば教員にはならないでほしい。生徒の将来に関与しないでほしい。

有料サービスにはどんな価値があるのか [問題提起]

さっき久しぶりにツイッターを開いてみた。ツイッターは主に著名人、特にほかのSNSをしていない橋下徹氏の情報を得るために一応続けている。そこで最近話題のIR法(カジノ法案)について橋下徹氏がつぶやいていた。それに対するコメントがひどい。例え反対意見だとしても伝え方が子供的すぎる。そういった人のプロフィールを見てみると中学生みたいな人が本当に多い(中学生を馬鹿にしているわけではない)

それはYouTubeでも同じでYouTuberが普及したため低年齢層にとっても非常に身近になった。なのでコメント欄の内容が酷すぎる。人気動画のコメント欄ではだいたい言い争い。そもそもコメントは配信者に送るようなものなのだから他人のコメントに返信すべきではない。それだけではなく少し考えればわかるようなしょうもない質問をしている人もいる。これはただ落胆するだけだが。

なぜこうなってしまったのかはまずスマホなどのデバイスが普及したからだろう。かつてはYouTubeはPCで観ていたためそんな高頻度では観れなかった。今ではどこでもアプリを起動すればすぐ観れるし、メール感覚でコメントもできる。情報の高速化となったがそれは吸収する場合ではメリットだが、アウトプットする際は一度再考しないとただの馬鹿になってしまう。人は思ったことをすぐ言わない。一度考える能力があるからだ。その能力を使わないのなら他の動物と同じである。

私は以前紹介したが月額1400円のニュースアプリNewsPicksを購読している。これは著名人や起業家など多くの方も記事にコメントをする。もちろん普通の大学生もコメントしている。ただコメントのレベルは非常に高い。本にでてくるような内容をコメントしている専門家も数多くいる。その違いは何なのだろうか。

まず月額1400円と無料依存症の方だと拒否反応を示す仕組みとなっており、内容自体まず20歳以下の方はあまり興味をもたないだろう。実は無料会員登録も可能で一部を除く記事は閲覧可能となっており、確かコメントもできたような、、、おそらく全部のコメントを読めば馬鹿みたいなコメントもあるのかもしれない。ただコメントに関する設定があり、まずコメントする際は個人情報に実名登録(たぶん職業も)をしなければならない。適当にコメントしにくくなる。さらに記事にコメントされたもので著名人や評価の高いコメントは上位に表示される。なので上位のコメント確認するだけで十分である。この2点が大きな違うである。

それに加えて有料なものの価値は単純に比較できないのではないかと気づいた。今回の有料アプリもそうである。単に月額料金比較だけではなくコメントの質や整備されているサービス料金も含まれていると考えるべきなのだ。最近格安Simが人気になっている。確かにそれに比べて大手キャリアは人によっては月額料金が3倍にも高い場合もある。ただ携帯料金は単に月額料金が安いかどうかで比較できるのだろうか。例えば故障した場合だ。格安Simの場合は持ち込み契約の場合は本体の故障はそのメーカー担当になる(xperiaならソニーへわざわざ問い合わせ方法を尋ねる) まず格安Simが大幅に安くなるのはスマホ持ち込みの場合だけで、大手キャリはその点本体は激安にしている。分かりやすく言うと機種変更を2年ごとにしたいのなら大手キャリアで問題ない。同じ機種を何年も使いたいのであれば格安Simがいい(私の場合はなるべく最新機種がいいので大手キャリア) 話を戻すと故障の際、例えばドコモであれば何店舗もあるドコモに行けば手続きができる。言っとくが修理は店舗にとっては何の利益もない。更に最近多くの駅でドコモのwifiが提供されている。これを使えるのもドコモの契約者Simのみだ。つまり大手キャリの月額料金のはそのようなアフターケアサービスが含まれているのだ。もちろんブランドという信頼も。

無料の方が、安い方が絶対いいという訳ではない。そのサービスの内容で判断することも必要である。世間は低賃金だ低所得だのお金を貯めることは敏感に反応するのにお金をどう使うかはあまり気にしないらしい。お金はなるべく使わない前提でお金を稼いでいるのなら、お金を稼ぐ意味も薄らいでくる。節約ももちろん大切だが、使うべきものには使うから節約の意味がある。今やアプリ系で月額有料のものの多くは初月無料体験が実施されている。それを試してみて本当にその価値があるのか試してみるのはどうだろうか。良質なサービスは無料では限界があります。無料なものは所詮その程度です。さぁ明日からお金をどう使うかを考えてみて行動しましょう。

紙媒体の本は無くなるのか [問題提起]


11月は久しぶりに数冊本を読んだ。まぁ堀江貴文氏にハマったのがきっかけだけど。それだけではなく11月からNews Picksという所謂電子新聞のようなものを有料会員として購読し始めた。これの面白い点はニュースだけではなく著名人や起業家のインタビューやトーク記事が掲載される。短編集を読んでいるようなものなので月額1400円だがそれほど高くは感じない。そこで今回のテーマに関して、私の場合メインでiPad使ってNews Picksを購読するが、これでは将来やはり本は無くなるのではないかと思い始めた。実際のところどうなるのか気になる。

まず言えるのが本としての役割は無くならないと思う。本が紙から電子に変わることはあるとしても伝記のようなものを読むこと自体は未来でも必要だ。ただ紙として残るのかといった点については自信がない。私は様々なICT活用を積極的に試しているが本だけは紙媒体のものだけである。そこで紙と電子では何が違うのか個人的に考えてみた。

紙と電子では読者の意識が違う。本が好きな自分でも本を読んでいて眠くなることはよくあるが、電子のほうが眠くなる回数は少ない。ただ内容を覚えているのは紙の方が多い。紙は教科書の印象もあり、真剣なものというイメージが強いため疲れる上興味がないと飽きてしまう。読む決意がないと読む気になれない。それに比べて電子はスマホで読むように気軽である。ちょっと気になった内容があればそれだけを読める。暇つぶし感覚で活用できるのだ。ただその分内容が頭に入ってこないこともある。自分が最も電子では読みたくない理由は目が疲れるからだ。長時間使用すると頭部への疲労もすごい。Kindieを使えば疲労は軽減されるのだろうが、、、

以上より私の場合は目的によってどちらも必要となる。英単語学習などは電子の方がいいということもあるので。世間の方はどうなのだろうか。『そもそも本も何も読まない』は論外だよ笑 ※本の重要性については今後話すかも

仕事は何のために? [問題提起]

 
最近、ある駅で募金活動をしている女性に話しかけられた。先週も会って募金したと思ったので確認するとその人の友達だそうだ。彼女らはフィリピン出身でアジア地域のための募金活動している団体のようなもので(本当にどうかは気にしていない)お互いのちょっとした話になった。
 
彼女は普通に日本語を話していた。もちろん英語はネイティブ並に話せる。いつか日本語を完璧に話せるようになってフィリピンで日本人に英語を教えたいらしい。そこで私は彼女に英語と日本語を話せたら日本でたくさん仕事ある上、フィリピンより高い収入を得ることもできると伝えた。能力があるのに日本にそういった仕事があることを知らないがために損するのはもったいないと思ったからだ。しかしそれに対する彼女の反応は「そんなにお金はいらない」だった。
 
予想外すぎた。驚かれて話にのってくると思っていた。そうなると仕事を探すにおいて何を気にするかが変わってくる。私はやりがいとお金だと思っていたが、また考えさせられることとなった。どんなにやりがいのある仕事でも低収入だと現実的にはつらいと思っていたが、そうでもない人もいるのだろうか。彼女にとってはそもそも仕事=自分の満足というよりは他人を助ける方法の感覚なのだろう。

人生に一度は誰にでも必ず仕事を探す時期というのはある。そこで何を目的に働くのだろうか。何を理由にどの仕事を選択するのだろうか。これからのキミにも考えてほしい。

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