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身近な幸せの瞬間 [つぶやき]

今日は何も予定がない。強いて言えばATMにお金を振り込むために一度家に帰宅しなければならないことだけだ。天気も快晴で気温も寒すぎない。ちょっと歩いて外出すつには適している。こんな日はカフェで昼ご飯を食べた後にゆっくり過ごすのが好きだ。これは満喫してるぜアピールとかそういう訳ではない。

一昨日の土曜と昨日の日曜はゆっくりする暇がなかった。睡眠時間も5時間を切るほどで帰宅時間も最速で21時を過ぎた。もちろんそれは自分が選択したことだが、内容がどうあれ客観的に見ても余裕がない2日間だった。

今日は9時間ほど睡眠をとって朝起きた。特に外出する予定もなかったが、なんだか天気も良かったので外に出たくなった。こういった日は外を、特に人通りの少なく交通もすくない道を歩くだけで気分が上がる。非常に楽しい。そのあとカフェに行った。他にお客さんはほぼいなく、席を自由に使える。昼ご飯を食べながらiPadでニュースをチェックし食べ終われば読書を開始する。そのとき幸せを感じる。それは今日だけが単独で楽しいというよりは昨日までが余裕がなかったから今日が楽しく感じるのだ。

今日したことはささいなことだけ。外出してご飯食べて読書をしただけ。あるニュースで暇だからスタバで読書をするという盲の内容が記載されておりちょっとイラっとしたが、暇だから読書をするのではなくこの時間に読書をするから楽しいのだ。そして読む行為はいつでもやめたり続けたりできる。この自由もまた楽しい。最近様々なイベントがあったので「楽しい」と思うことが今日だけではなく多々あったが「幸せ」と感じるのは今日が久しぶりかもしれない。

「幸せ」とはイベントなどがあるかどうかは別なのかもしれない。自分が望む選択をしそれを自由にできるときにこそより「幸せ」を感じるのかもしれない。それは常にないからかもしれない。毎日が今日みたいだったらこれほど何かを感じることはなかっただろう。時間の使い方次第で「幸せ」を感じられる。非常に簡単ではないか。

皆はどうやって「幸せ」を感じているのだろうか。何かあるのであればそれでいい。しかし現時点でない人も少なくないだろう。ちょっとは探してみてはどうだろうか。実は今日のちょっとした時間でできることかもしれない。
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幸せはゼロサムゲームなのか [問題提起]

今Prime Video(amazon提供サービス)で「美しい隣人」というドラマを観た。ある同じ日の同じ夏祭りで2人の子供が行方不明になった。1人は無事発見されもう1人は不幸なことに池で溺死しているところを発見された。これは若干ネタバレになるが、その両方の子供の親は似たような経歴でお互いその事件までは幸せに生きていた。しかし事件が片方の人生を狂わした。最後それが私には片方の幸せがもう片方に移り、不幸せが逆に移ったようにみえた。

誰かが得をすると誰かが損をする現象をゼロサムゲームという。FX取引はだいたいそれだ。幸せもゼロサムゲームな気がしてきた。誰かが幸せになるとその文不幸せな人がでてくる。つまり幸せの合計最大値は変化しないということだ。2人で1幸せとなると世の中の幸せは人口にえ比例する。そして人口比が維持されれば例えば100年前の幸せを我々は受け継いでいることになる。なんだか不思議に感じてくる。今後日本の人口は減ると予想されているので幸せの最大値も下がるのだろうか。否、なにかしらの方法で倍にしたり比例せず増加できるのだろうか。

世の中のエネルギー [問題提起]

中学生の時に理科でエネルギー保存の法則を学ぶはずだ。エネルギーは減ったり増えたりしないで合計は変わらない話のこと。一番印象に残るのは鉄球を落とす実験だ。上にあるときは位置エネルギーが大きく、運動エネルギーが小さい。下にあるときはその逆になるという実験だ。今でもよくできてる法則だなぁと思う。エネルギーと言われてぱっと思いつくのは位置エネルギー・運動エネルギー・熱エネルギー・電気エネルギー・光エネルギー・音エネルギーくらいだ。これらが変換される問題もよく中学の理科には出題されている。

先に言うが私は物理学に関しては素人で想像力からエネルギーを考えてみた。では私が行う行動をエネルギー観点で分析してみると、まず食べ物を食べることによりカロリーと言われるエネルギーを吸収する。そしてそのあとに私は本を読む。本を読む際は起きていてかつ集中しているので脳も使っている。ここでメインに生まれるのが知識エネルギーだ。そして私はその知識の蓄積を駆使して別な人に話す。知識エネルギーが音エネルギーとなり他人に入る。その他人に入るとまた知識エネルギーとなる。

最近一気にしゃべる機会があった。しゃべり終えたあとは相当疲れた。これは無駄ではないと信じている。先程の理論の通り私のしゃべりが知識となり他人に受け継がれているはずだ。そして受け継がれた人はその知識を別のエネルギー、例えばそれで何かしたくなって行動するエネルギーに変わるかもしれない。そう考えるとやはり世間でいう「雑談」とは無駄ではない時もある。

さらに1つわかったことが読書は知識エネルギーを作ることだ。ただエネルギーは変換することによって別の効果を出す。インプットも重要だがアウトプットすることがないと知識エネルギーは永遠に知識エネルギーとなる。これは正直もったいない。エネルギーは様々なエネルギーに変換して使うほうが有意義なのかもしれない。読書して知識をエネルギーを作るにはお金と時間がかかっている。その知識エネルギーを何かに変換して最終的には費やしたお金と時間以上の価値を生み出すことが成功と言えるだろう。
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